2週間ぐらい前になるのですが、NHKのあさイチで”親を家で看取ることについて”の特集を放送していました。
私はその時間仕事に入っていたのでよく見ていないのですが、訪問先の利用者様が見ていたのでところどころ見聞きしていました。
普段はあまりテレビを見ない利用者様ですぐチャンネルを変えたり消してしまうのに、その放送は食い入るように見ていたので印象に残っています。
その利用者様(女性)は体力も気力も無くなってきていて寝ていることが多く
「自分はもうすぐお迎えが来るから」とか「いつ死んでもおかしくないから」など冗談とも本気ともとれることをよく言っているのですが、持病という持病はなくお元気です。(軽度の認知症はアリ)
彼女は看取られる側の視点で見ていたのだと思います。
前のめりになって見ていました。
未婚のお子さんと一緒に住んでいらっしゃいますし、たぶん最期を家で迎えたいとお考えだと思います。でも直接は聞いたことありません。
ご家族には話しているのか、わかりません。
しかし、番組の中で
”大切なのは死ではなく、生きるを見届けるということ”
”「何ができるのか?」ではなく「何をしたいのか?」を考えること”というのがありました。
私は前々からその利用者様に”会いたい人や行きたい場所、見たいもの、食べたいもの”は無いのか、車椅子に座って出かけられるのでは?と、それとなく聞いてみたのですが、元々外出は好きではないようですし、食べても何をしてもすぐ疲れてしまうのでそんな気力は無いみたいでした。
でもよく身内やご家族のことはお話しされていて、歳の離れた妹さんや弟さんもいるので、「○○さんが動けなくなってしまっても妹さんや弟さんが動けるなら遊びに来てもらえば?」なんて私が口走ったら、
「そんな簡単なものではない!」と不機嫌になられてしまいました。
事情があるのか、もっと慎重になるべきだったと反省していたところでした。
親を家で看取る特集を食い入るように見つめる利用者様から感じたこと
その方は外に行って太陽の光をもう1年以上浴びていないです。
精神状態をよく崩さないなと思う程、カーテンは開いているのを見たことがありません。
(換気はヘルパーがしています!)
食事は摂れますが体力がないので、本当に寝ていることが多いのです。外との接点は私や他のヘルパー、往診の医者や看護師、たまに来てくれるお子さんです。
思い出の場所だとか、きっとあると思います。
よく子供時代のお話も聞かせてくださっています。
でも、太陽や青空も何も見ないでいつかポックリ眠るように逝ってしまいそうで、
会いたい人に伝えたいことを直接伝えたり、慣れ親しんだご近所の様子でも見て昨日とは違う日を送ってほしいな、と内心ではおせっかいなので思っています。
自分だったらと思うとやはり、考えるのは
少し無理をするかもしれないけれど動けるうちに、やりたい事をやった方がいいのでは?と思いました。その方は短期記憶の低下など軽度の認知症がありますから、不安だったり自分がよくわからなくなる怖さを感じていると思います。
そのような不安も感じているけれど、喜びや嬉しさも感じられています。
それならば喜びや嬉しさの方に重点をおくことはできないのか。
でも高齢になると身体はインフルエンザのように怠いと言われますから、気力のある今の自分だから思うことなのかもしれません。
その利用者様もよく「自分が死んだ後の心配事はたくさんあって、考えだすと眠れなくなる」くらい周りを心配している優しい方なので、後悔してほしくないなと思います。
それから、「こんな見すぼらしいヨボヨボになって」などよく仰って皆にジロジロ見られるのではないかという心配もあるようです。
以前、集まりで子供の頃の担任の先生にお会いしたら「歳を取ったからもう写真は撮らないで!一緒に写真には写らないよ」と言うので人間のあるある心理なのかもしれません。
自分の持っている自分のセルフイメージとかけ離れているんだと思います。
でも周り目など気にせず、不安を払拭できたらなとは思います。
そんなことより、やりたいことをやったほうがいいのではないかと思ってしまいますが、人それぞれではあります。
とにかく納得して過ごしてほしい。
このように利用者様を通して色々なことを考えられる、介護の仕事に感謝しています。